新開地の巻

新開地―さう云へばもうそれで沢山で、別に湊川なんて文字をくつつける必要もありますまい。

神戸から新開地を省いて了つたら、大阪から南地を省いたのと同じやうなものです。

楠公神社前から多聞通、福原の花街地、湊川公園からダラダラ坂を下つたあの賑やかな通り、全く新開地あつての神戸と云つてもいふ程、港街唯一の大歓楽郷です。

福原の花街地を中心にして、大小幾百のカフェー、バー、何とまア恐ろしく出来たものよ!と只々驚歎の外はありません。

麗美有会館、優美会館、明眸会館なんてレストランを始め、カフェー・ロンドン、バリジヤン、敷島、扇港亭、コロンビヤ、おにいちやん、アルプス、マルセーユ、いやあるわ、あるわ。その何れも近代風な装飾を施して、耳朶が引千切れるほどジヤズと唄でまくし立てる。

お蔭でバカを見てるのが花街に咲く夜の花です。年々歳々お茶つ引の女郎と、芸妓は増えるばかりで、花街地に浸入するお客さまの金をマンマと途中で横取されてるかたちで甚だもつて面白くない。

尤もカフェー業者に云はすれば、そこが狙ひどころで、どうせ花街地をうろうろするやうな奴は、大なり小なりあぶく金をもつてゐる。その金をムザムザ娼妓や芸妓に巻きあげられてなるものかと、福原の不夜城を一大女給群で包囲攻撃したわけ。

だが、呑んだ丈では物足りないと見えて、矢つ張り年の若い連中は行く所までは行つてくる。

といふよりも、花街地附近の女給に対しては取締りがきびしいし、又、取しまりをきびしくして貰ふべくいろんな運動が年中絶えないのも事実です。

現在福原には三百七十余軒の妓楼と、四千七百二十余人の娼妓を有し、その規模の点から云つても日本屈指の大花街ですから、さうさう女給に巻きあげられては、この一廓内数万人の人間が餓死せねばなりません。

最近一ヶ月の統計によると彼女たちに戯れた嫖客が二十二万八千八百六人、一日平均、七千六百余人―ちよつとバカに出来ないではありませんか。

それに新開地には幾多の劇場や、映画舘がある。松竹座のレヴュウが押すな押すなの塵況なら、聚樂館もそれである。

水族館の海女の鮑取では海女が紅裙のすきまから白い素足を散らつかせるといふ―歌麿好みの演芸で、爛れ切つた神戸人の神経を刺戟する。

レヴュー・ガール、射的屋の女、デパートの女、その他もろヽのサアビス・ガール、神戸の女性はそのすべてを打つて一丸となし、大なり小なりエロの風潮に染まぬはないといふ。あゝガイタンすべ きミス神戸よ。お前はいつたい何処へ行く―といひたくなるのは豈只僕一人でありませうか?

然も、新開地のグロ味はなかヽこんなことでは蓋きません。

公園のベンチに、花街の入口に、或ひは暗い路次裏に、多数のガイドと(神戸ではポンピキといふ)ストリート・ガールが縦横無盡に暗中飛躍をつゞけてゐる。

花街の入口あたりに屯ろしてゐるポンピキは、いゝ椋鳥を見つけるとたいていは平野の淋しい屋敷町に案内する。出て来るのは船員の未亡人や、盛り場のショツプ・ガールなどで、大胆な女に夜の十二時前後になると単身出かけて交渉する。

けれども、なかにはさうした悪風を悠々端睨して生活戦線の第一線に立つ娘子群がある。湊川公園東側の道路に並んでゐる美人揃の関東煮屋の一団がそれです。

今もゐると思ふが石川屋のアサちやん、ゑびす屋のツルさん、岡山屋のヨシちやんなど、湊川のスリー・ガールとしてバラケツ愚連隊たちさへ手を出しかねる女傑です。

開店当時は凡ゆる方面から誘惑の魔手がのびたが、彼女たちは何れも申し合せたやうに断乎として異性の誘惑を退けました。今日ではそれが素晴しい評判となつて、紳士や粹人たちが軽い気分で何等の野心なく彼女たちの料理を賞味してゐます。

エロの港に咲く美しい花として、いつまでも蕾のまゝで咲かせてをきたいものではありませんか?えゝ、異議ありですつて?

まだ、前借料三万円の娼妓、共立検の名妓、不見転、いろいろ書きたいことはあるのですが、遺憾ながらこれ位にして、最後にブルジョア愚連隊の巣窟と云はれる阪神沿線に逆戻りして神戸篇を終ることにしませう。