仙境なんていふと、景勝絶佳の地と感ちがひされる方があるかも知れないが、仙境は仙境でも仙女のまします所だから、あだやおろそかに聴いて貰ひにくない。
前にも云つたやうに、神戸の秘密境はどこにどんな風な仕掛のある家があるか分らないので、よほどその道の明るい通人でも
「ほほう、そんなところがあるのかネ」
と、後になつてビックリするやうな家が次々と現はれて来るのである。
いまでこそ円タク円タクと安つぽげにいふが、神戸全市を通じて自動車の数が百五六十台しかなかつた頃ですら、自動車を乗り廻して春を売つてゐた女がゐに程だから、その徹底しに物凄さは他の部 分ではちよつと真似が出来まい。
現在でもナイト・クラブの活躍は恐らく神戸が日本一で、凡ゆる外人を網羅しにウォールド・ハウスにしたつて横浜よりも神戸の方が先に生れに。
だいにい横浜歓楽郷で述べにのと同じやうな構成だから、再びこゝに繰返す必要はないが、場所は山手の東亜ホテルの附近である。
そのほか、外人の享楽機関は幾つもある。日本のマダムや、富豪の令嬢たちが旺んに出入する立派な社交場もあるし、髪の紅い、眼の蒼い坊やを生んで、日本人放れの芸当を演ずる女だつて相当ゐる。
以前から、三宮駅を中心にしに元町裏通、北長狭通、生田町一帯は神戸の密淫売地として、その名海外にまで響いてゐるが、堂々にる鉄筋コンクリート造りのホテルみたいな家もあれば、チョンチョ ン格子風のちやちな家、安つぽげなバー、怪しげな小料理店等々、その種類は千差万別である。
従つて、密淫する女だつてピンからきりで差別はたいしにものだ。或ひは眼に角を立てゝブンブン怒る御仁もあると思ふが、二十歳すぎてアパート住ひをしてゐる女は、十中七八までは淫売婦と見て差支へない。女一人でアパートに住むといふことが、既にその女のふしだらを物語つてゐるのだ。
尤も、女ばかりのアパートはこれは別問題にすべきかも知れぬが、その中にさへずゐふん如何はしい
のが多いのば誰が何と云ったて争へない事実だ。
つい話が脇道にそれたが、夜遅くなって三宮駅を歩いて見給へ、諸君ば必やどこかで女の呼び声を聴かされるであらう。元町の裏通り、駅のすぐ近くにある穴門からダラヽを上ったところ、鉄道線路に沿ふた北長狭通り、そのいづれであらうとかまはない。尠くとも女給又は酌婦のゐさうな家の前を通れば、諸君の姿が非常に見すぼらしくない限り、決して女は見逃しはしない。若し、誰一人として声をかけて呉れる女がなかったとすれば、それはその人が刑事と間違へられたか、でなければ素寒貧となめられたか、いづれにしても甚だ芳ばしくないことゝ深く深く反省してみる必要があらう。
関西の女も最近は殆んどその言葉に東京なまりを入れるやうになったが、これは頗る面自くない。関東関西のチヤンポンよりも、関西女は関西女らしく、例の甘えかゝるやうな声をしてゐた方がいゝのに、芸妓以外の女性は殆んど東京弁を使はうとする。以ての外の不心得である。が然し、そんなことはまア如何でもいゝとして、たとへば穴門の先の方で
「ちよいと兄さん。遊んでつて頂戴ナ。 と女から袖を引張られたとする。さうした場合に全身に寒気を感ずるやうな人は、もうこれから先を読まないことである。
すべて道楽といふものは学問と同じやうに一歩々々修業を積まねばならぬ。
かうした場合にぶつつかつたら、たとへ懐中には五十銭玉が二つしかなくて、対手がチリ紙に猿を書いたやうな女であらうと、大胆に、
「ふむ!そいつはありがたいナ。面白い遊びを探してゐたところなんだ。」
すると女は答へるであらう。
「あら頼母しいわねえ。まアどうでもいゝから中へお入へなさいよ。」と。
入れといふ以上は堂々と入つても別に家宅侵入罪にはなりつこない。
「どう?泊つてゐらつしやらない?」
「泊つてもいゝがこゝは宿屋かネ」
「あらじれつたいわねえ。そんな冗談はお止しなさいよ!兎に角何かめし上らない!」
「召し上ってもいゝが、実は金がないのだ!」
とこの時始めて五十銭玉二つしかないことを白状する、そして、その五十銭玉をポンと気前よく相手の女に呉れてやるのだ。
「で、今日は遊ばないで失敬するが、明日の晩は必ず来るよ!」
と、だいたいの費用、遊びの方法など聴いてその晩は帰ることだ。然し、その翌日は時計や着物を質にたゝきこんでもいゝから、洋服着用に及んで再び出かけて行かねばならない。かくして、その女 からいろいろなことを探り出して、どこにどんな面白い家があるとか、その面白い家ではどんなことをやってゐるとか、若しその女がさうした家に出入してゐれば紹介して貰ふとかいふ具合に、騒がず あせらず、探奇の心を猛然と振ひ起すのである。
たとへば三角張場の近くにある××ホテルだ。普通の客として泊ったのではボンヤリと一晩退窟な時間をすごさねばならないが、この附近の女に紹介してもらって同件で泊りに行くと、どんな珍らし い事件が展開しないとも限らない。
なぜと云って××ホテルは表面は堂々たる放館であるが、猟奇派の外人たちが秘密遊戯に耽る場所として有名である。
経営者のマダムも外人の妾になってゐる位だから、酢いも辛いも呑みこんでゐる。なべて自からを耽奇派の一人と自信出来るほどの人は、たとヘ一度でもかゝるチャンスに恵まれたら、なにはさてをいても其家の女将と心易くなることが絶対に必要だ。遊びの上手下手は、遊ぶ家の人々から充分に信頼させるコツを忘れてはいけない。対手に不安さへ抱かせなければ、どんな秘密でも容易に探し出されるし、秘密境に入ってほんの一ペンの遊びをして来る位なら、最初から貸席(おちゃや)遊びや、女郎買位で満足してゐた方がよっほど気が利いてゐる。
××ホテルヘは外人だけでなしに日本の金持連も出入する。ホテルの中には別にお抱へ女といふものはないが、外部の女とは充分に連絡がとれてゐて、それこそ関西の廓言葉ではないが、百の百、千の千である。 さてかうなると、わざヽパリーあたりへまでナイト・クラブの秘密を探りに行く必要は亳頭御座らぬ。
だから、我身がどんな立派なホテルに彼女と泊つても、扉が閉めてあると思つてうつかり油断してはならない。璧と同じ色の布幕だつてあるし、或ひは天上に、或ひは璧に、いかなる覗き穴がつくつ てあるか知れたものではないのである。
なかには女将自から陣頭に立つて愚連隊を指揮してゐるのもあるし、小さなカフェーの割に部屋の多い家などみなそれだ。
たゞ横浜の本牧みたいにジヤズだ、タンゴだ、ブルーズだとジヤンジヤン大つぴらにはね廻つて、疲れると「サア、どうぞ」といふわけにはゆかないが、その内面的飛躍に至つては、その深刻さ加減驚歎に値するものがある。
なにしろ外人が多いのだから、警察の手加減も生ぬるい。外人の落して行く金だつたらいくら落して行つてもいゝといふ腹もあるし、対手が外人ではうるさいといふ腹もある。
なにしろ神戸の魔窟には上海あたりでゴロゴロして来た女が多いから、サービスもなかなか味なことをやる代りに、財布を空つぽにさせることも達者である。
さて、それでは三宮附近以外にはもう面白い所はないかといふと、なかヽどうして。上筒井の屋敷町や、奥平野の屋敷町には、立派な由緒ある人の未亡人が経営してゐる隱れ遊びの場所がいくらでもある。
熊内川の上流、布引の瀧を下つた山麓には会社の重役連だけが出入する秘密クラブがある。こゝは外人も寄りつかないし、年中酒と歌とに憂身をやつしてゐるやうなフラツパーなどは寄つかない。
虚栄の高い安月給取の妻君や、お琴の稽古や、お花の稽古にゐらつしやる何々家のマドモワゼルだつて忍びがくれに入るのである。
奧平野の方は主として高級船員がたが多く、各地の商船校同窓クラブと一脈の連絡があるやうに聴いてゐる。
それからストリート・ガール(関西では白首といふ)は諏訪山公園、長田神社、青谷附近に現はれるが、諏訪山公園が最も多い。
けれども、これらのストリート・ガールには余程注意しないと、その背後にバラケツがゐて、飛んでもない美人局のワナにかゝることが往々ある。
賤娼婦の出る所は北本町の裏側、俗に新川の貧民窟で知られてゐる所や、宇治川の貧民窟などである。
新川の賤娼婦に就ては賀川豊彦氏の「死線を越えて」の中にも詳しく書かれてゐるし、外国の賤娼婦ほど興味がないから、賤娼婦のことなどはこれ位のところで止して、神戸のバラケツに就いて少し 述べやう。