「同じ金を使って遊ぶのなら東京で遊ぶのはバカらしいよ。」
悪食仲間の槍本勘吉が僕に向ってかう吐した。奴にしては洒落たことを云ふと思ったので、
「どこだい?金を使ってバカらしくないところは?」
「ハマだよ!」と彼が答へた。
僕が横浜ヘ遊びに行き出したのはそれからである。
一口に横浜と云っても、横浜だってあれで相当広い。海岸ばたで風に吹かれたって仕様がないし、伊勢佐木町の夜店をぶらりいたって始まらない。
ハマで遊ぶと云ヘば、東京の人間には本牧で遊ぶといふことに意味が通ずる。
「横浜の本牧とはどんな所か?」
いまどきこんな野暮な質問をする人間も恐らくゐまいが、本牧と云ヘば日本が有する唯一の国際的エロエロ街なのである。
どんなに大きな面をして銀座のペーヴメントを歩いても、本牧を知らないやうな奴はモボの資格を有しないと云はれる程、こと程左様に現在では東京人と本牧とは切っても切れぬ腐れ縁だ。
と云って、東京の人間でなければ本牧で遊べないと云ふわけではない。
どこの馬の骨だらうと牛の骨だらうと、お金さヘもってゐれば誰でも遊ぶことが出来る。たゞ、頭のコチコチにかたまった道学者、貯金の通帳をいつも神棚に祀りてをくやうなケチンボ、モガの嫌ひなバンカラ男、そんな連中は決して本牧あたりをウロウロしてはいけない。ウロウロするだけで病気になったり、精神に異状を来すかもわからない。
東京方面から遊びに行かうと思ふ人は、先づ省電桜木町駅で下車する。
下車したらすぐに駅前のタクシーに乗って 「本牧」と落ち着き払って命すればいゝ。
「本牧まで五十銭で行かないか?」
などゝ云っても、横浜のタクシーは負けて呉れない。町が狭いから五十銭均一ではヤリ切れいないと断はられるから、値切ったところがムダ口をきくだけ損である。
もし、この場合、二十円か三十円しか持ってゐない場合は、大きな御面相で
「ホンそク」なぞとふんぞり返ってはいけない。本牧の第一キヨ・ホテルとか、カノ・ホテルなどでは、二三十円バツチの金ではゆっくり落着いて遊べないし、どんな赤恥を掻かないとも限らぬ。
なれない人間はそのためによく失敗するのだ。なにしろビール一本のんでも、ウヰスキイ一杯のんでも一円以上ふんだくられ、おまけにソバに喰付いた女にジャンジャン飲まれるのだから、少うしボンヤリしてゐやうものなら二十円や三十円はまたゝく間になくなって了ふ。
ビール一本のませても、ウキスキイ一杯のませても、大牧ガールの方では歩合をもらってゐるのだから叶はない。こちらで高い洋酒を御馳走して、その上歩合までシボられてゐたのでは、叩いてお金が出ない限りトテもたまつたものではないのである。
だから、いつそのことポケツト用のウヰスキイを二三本もって行って遊ぶに限る。
もしその場合
「あらガツチリしてるわねえ!」
とか何とか女の方で言ったら、
「その代りこれをやるよ!」
と、歩合の代りにチツプをよけい奮発すれば、
「あら、あんた頼母しいわねえ!」
と、三角のやうな瞳が急に廻転して糸のやうな細い眼差に発展転化するであらう。
然しこのウインクに吊りこまれて、
「サテはこいつ僕に気があるな。」などゝ早合点してはいけない。
汎ゆる男に対して、彼女たちの惚れないこと実に大磐石の如き観がある。
本牧ガールは決して対手に惚れないことを唯一の生活信条としてゐるのだ。
その点、他のもろもろの尾のない狐と同じである。
最初遊びに行ってバカにもてたから、二回目はそれ以上だらう―などゝ、飛んでもない己惚心を起さないこと、起したが最後ムネ糞が悪くなって腹が立っであらう。
本牧の女は万人の共有である。独占できない闇の花である。而も、それたゞ日本男子だけを討手にするしほらしい女性ではなくて、世界各国の好色漢を手玉に取らねばならぬ妖女である。
たとヘ討手が鈴木伝明だらうと、岡田時彦だらうと、それとも華族の坊ちゃまや実業家のドラ息子だらうと、彼女たちにとっては、誰も彼も十把一からけにヘヘののもヘじに他ならない。