大阪私娼記

世の中が不景気になる程いかもの喰ひが増えてくる。皮肉な現象である。

不景気と淫売。これは仲いゝ夫婦である。切るに切られぬ縁なのだから仕方がない。

道頓堀をはじめ、あちこちの盛り場に客引の増えたことはどうです。

敏捷活溌なる彼等の活動たるや、実に左翼運動の細胞分子のやうではありませんか。

左翼とエロの尖鋭化!ガイタンすべき世の中ですテ。政治家だけの世の中になつたら、どんなに朗らかなスガスガしい感じがするであらう。ヱロが嫌ひ、女が嫌い。堅苦しい論文、それも、然り而して子の曰く―テナ文章がお好きで、ラブ・レターなど見るとヘドが出さうだと仰言る。

僕なんか何の因果か知れぬが、いつもお金は腐る程あるし、いたる所で女にはもてるし、いや実に世の中がうるさくて叶はん。―と、まァ、こんなことでも云つて自から慰めるより外に方法はない。

それにしても、人間に性慾なんてものを授けた創造主の神さまは、実に憎みても余りある奴である。飛んでもない厄介ものを人間どもになすりつけて、あれだと云はせてみたり、イツトだと云はせてみ たり、実に八つ裂きにしても尚ほ飽きたりない不埒ものだ。

ところで、話しは又もとへ戻る。

道頓堀のガイド(客引)には諸君のうちでも屡々出合はされた方があるであらう。

「且那、どないだす。面白ろい所へ御案内しまほうか。」

と、恐る恐る近寄つて来る眼のキョロリとした男。

「おもしろいとこてなんや。」

「へイ、綺麗な姐はんのゐるとこで。」

「綺麗な姐はん?それあえゝな。」

こんな会話が平気で道頓堀の真中で取り交されるのだから、世の中は面白う……いや、歎かはしうなつた。

「女優もゐます。踊り子もゐます。

そのほかどんな女だつてゐるやうなことを云ふ、

どうです諸君、かうした女が×円以下の金で自由になるのだと客引の男がいふのである。未亡人でもお妾はんでも、人妻だらうが若い娘だらつが、まるで市が立つやうなことを云つてけしかける。

何といふ近代人のだらしなさであらう。天の神よ照覧あれ、創造の神よ恥ぢるがいゝだ。嘘だと思召すなら論より証拠、ナルペクのつぺりした顔附と金のありさうなスタイルで歩いて見給へ。そして十円オーライ、十五円でもオーライと答へて、彼のガイドと一緒に円タクに飛びのると、諸君は亀の甲に乗つた浦島太郎のやうないゝ気持になつて、闇の中に吸はれてゆくであらう。

ガタリと円タクの扉があけば、そこは大阪の南端萩の茶屋か、萩の茶屋でなければ天下茶屋、さもなくば岸の里の近辺である。

然し、そこは必ずしも龍宮の門ではない。龍宮に達する迄は、一つ二つの路次をクルクル歩かねばならぬ。

これに、龍宮の場所を誰かに悟られないための用心である。

又、時には、いきなり芝垣を廻らした高壮なる邸宅の門前に、ピタリと自動車が横づけにされる場合があるかも知れぬ。それは、よもやこゝが美姫のまします龍宮ではあるまいと思はしめるためのトリックである。

更にある場合は、小さなしもたや作りの家で少刻を待たされ、脂肪ぶとりの立派なマダムに誘はれて他の家に導かれることがないとも限らぬ。

これは何者かに襲撃されても、平然とすまして押入でもどこでも開けて見せるための用意である。

かくして軟派にも極左的な非合法運動があり、その巧妙な戦術が並々ならぬものであることを先づ諸君は知るであらう。

流石に高淫階級だけあって、きたない裏町とは気分がちがふ。どうせ化けものではあらうが、

令嬢らしいのや、女優らしいのや、モガらしいのが自由に選択出来る。と云って張店みたいなわけにはゆかない。

もし又、ほんとうに諸君の気に入った女があれば、単に一夜妻としてのみならず、諸君の第二号にして貰ふもよからう。

然し独占するよりも、共有妾の方が流行する。今日サラリーマンの間では旺んに推賞されてゐる。

子供でも出来た場合が困るであらうが、兎に角近代の女性はかくの如き性生活の合理化をやってゐ。

かゝる悪風に風教の害大なるものありと認め、取締り当局では血眼になってゐるが、なかなか撲滅出来ないらしい。

「おまへことあらへんやろ。あかん奴やナ。」

こんなデマが旺んに飛ぶのも、かうした悪の巷から出る流言蜚語にすぎないが、なかには女優のな

尤も女優に対するいろヽなデマの飛ふのは東京だって同じで、まるで見て来たやうな嘘を云ふ奴が絶へないのは困つたものだ。

と云ふ東京の密淫より、上玉の揃つてゐることだけは流石大阪である。

いづれにしても大阪の南はもの凄い。萩の茶屋に出入する女に、若い頃なうての不良N子といふ女がゐる。

彼の情夫Kといふ男はチボ常習犯で長い牢獄生活をすることになつたが、N子は妊娠してゐたばかりに彼と別れることが出来なかつた。産み落した子供のために余儀ない倫落の淵に沈んだ生活々してゐるが、同じ罪を犯すにしても人様のものに手を触れるよりは……と、すつかり神妙になつてゐるのがいぢらしい。

女学校にも三年まで通ひ、生家も相当の暮しをしてゐるのに、継母なるが故に家にも帰れず、犇と愛児を抱き締めては悲しい稼ぎをつゞけてゐる。

甞つては短刀を懐にした気の荒々しい不良を顎先で駆使したN子、白刄の下でもニツコリと凄い笑を漏らしてタン呵を切つた彼女は、いまドストエフスキイの罪と罰に出て来るソーニヤのやうに体を汚しつゝ益々魂をみがいて夫の出て来た時の準備や、子供の養育につとめてゐる。

「どうせ賤しい女なのよ。でも先は妾しの生活のすべてをチヤンと知つてるのです。知つてゐて許すものゝ苦しみに対して、妾はきつとそれだけの償ひをしなければなりません。」

珍らしい東京弁で彼女の告白をきいたとき、僕の友人は遂に彼女と同衾する気にならなかつたといふ。奴にしては話しが少ししほらしすぎるので、

「どうしてそんなことを彼女が告白したのだ。」と飢ねると

「寝物語りさ」と答へるのである。

「なアんだ、寝物語りなら変ぢやないか。」

「うんにや、遠慮したのや。」と云ふ。

「君も案外意久地なしだネ」

と笑つてやると、彼はニヤリと笑つて

「ところが女の方でな、それはそれ、これはこれ、そんなことでクサクサするのは男らしくないわよ―といふさかい遠慮するのをやめたのや。」

人を喰つた奴である。然し、その実、僕も彼の紹介で彼女を知つたのであるが、細そりしたスマートな顔附のいゝ女である。濃い眉、怜悧さうな眼、右眼の下に小さなホクロのある女ですから、萩の荼屋のあのいちばん高壮な家でさうした女をみつけたら、それがN子だと思つてやつて下さい。

それから天下茶屋の年張り同じやうな家、尤もこゝは左程大きな家ではありません。由緒ある人の未亡人ですが、いろんな悪名を流した女で、蒼い眼玉の子を産んだと云へばジヤアナリスト仲間では たいていの人が知つてゐる筈です。以前は天王寺公園の近くにゐたが、夫の遺産も一人娘と一緒に目茶苦茶に使ひはたして、揚句の果に変な商売を始めたのである。娘の名はたしか美津子だつたと思ふ が。これが又なかくの莫蓮者で、英語は話せるし、ダンスは出来るし、そちこちにモガの友だちが多いところから、親子共同でいろんな女を誘つて来ては内密稼ぎをやらせてゐる。

暫らく御無沙汰してゐるので、或ひは又移転してゐるかも知れないが、此家へはもと道頓堀のユニオンでダンサーをしてゐたといふ女も来てゐた。

たつた一度の外泊で悪性の淋ちゃんか貰つてから、その女はすつかりヤケ糞になつた。自分の罪は棚にあげて、凡ゆる男を呪つてやる。うつされた病気を分けてやる。

私娼のひねくれたのにはさう云つた種顔の女が多い。野暮一点張りの遊びは危険である。さうかと思ふと、こちらの要求に対して、最初の約束金以外に一つ一つ値段をせり上げて行く図々しい女もある。

客の方では高い金を払つても、彼女たちの実際の収入は、極めて少額になるからであらう。ガイドの手数料、媒介所の席料と手数料、そんなものを一つ一つ削られたのでは、実際女の方でもやり切れまい。

けれども、客引の方に云はせれば、客引がいちばん割が悪いのである。一人お客を掴まへると三円 から四円の手数料にありつけるとはいふものゝ、最も危険な芸当は客引がやらなければならない。

へたに私服の警官にでも口説きかけやうものなら、すぐに引捕へられてブダ箱に叩きこまれるのだし、おまけに科料でも喰つた日には全く眼もあてられない。

「こんな商売せにやならんのも、円タクのお隆でわいらの商売があがつたりになつたからだす。」

と、辻車夫のガイドがこぼすのである。見つかる迄の寿命だから、その気苦労もたいていではあるまい。

大阪全市のうちでは、まだ他でもずゐぶんこの種の高等淫売はるると思ふが、前記の三ケ所では私娼の数が約人、秘密の家が約軒位のものであらう。

ガイドは必ずしも辻車夫に限つてゐない。いろんな破廉恥漢も交つてゐる。ひどい奴になると、最初はお客づらをして行つて、二度目には脅喝に出かけて割前を取るか、無料で遊んで来るかする。

こんな輩にかゝつたら災難で、つけこまれるだけつけこまれるのである。組織だつた商売でないだけに表沙汰にも出来ず、地廻りもをけない程弱い商売だ。

お客はすべて中年の男又は老人である。老人連は特種メンバーといふ奴で、ガイドの引張つて来るのは多く中年の紳士だ。

或る家では特別の人たちに限つて、幾組もの男女を一緒に入浴せしめたり、新客の情景を視察させるやうな方法も講じられてあるといふ。噂だから当にはならないが、他では真似の出来ないやうな遊びがあるとのことである。

それに反して、同じ私娼でも貧民街の私娼となると、最早僕たちの眼には歓楽郷ではなくなる。恐るべき人肉の市場であり、忌むべき犯罪の養成所である。

わけても今宮の貧民街(大阪人には釜ヶ崎の淫売と呼ばれてるるが)などその最も代表的なものである。

住吉街道も今はすつかり改装されて、アスファルトの立派な道路になつたが、そこを一歩入ると八田町、東田町、東入舟町、西入舟町といふゴミ捨場のやうな街が展開する。

最下層のルンペン・ブロレタリが居住する地帯で、屑捨ひ、乞食、下駄の歯入等々が溝の中のボウフ リみたいに巣喰つてゐる。

ならず者や、のらくら者ばかりがゐると見えて、自分が見張りの役目や、客引きをやるといふ情けない輩である。

亭主が、ほかの淫売を買つたといふので、掴み合ひの夫婦喧嘩をすることなども毎日眼になれて珍らしくはない。

甚だしいのになると、僅かの端た金で惜し気もなく大切な身体をぶちまけて了ふ。日収一円を最高に、三十銭四十銭、なかには二日も三日も無収入の男がゐる。

家族が死んでも葬儀を営むことさへ出来ないで、莚にくるんだまゝ投け出して置くといふありさまだから、その惨鼻は見るに耐えない。仕事にあぶれた淫浪者たちが、旺んに婦女誘拐をするのもそのためである。

田舎から出て来た女などが、かうした悪漢に捕はれるともう再び明るみへは出られない。拾円か二十円、甚だしいのは五六円でも売り飛ばして了ふ。

といふ。

バクチも、姦通も、売淫も、スリも、その他ありと凡ゆる罪悪がこの街ではほんの日常茶飯事なりである。

一銭か二銭づゝの賭博で四五十銭も負けると、それこそ彼等にとつては大負債だ。そこで債権者にといふやうなことが寧ろ道徳のやうにさへ考へられてゐる。

人間の無恥もこゝまで達すれば、既に動物と大差はない。

木賃宿から木賃宿へと、着のみ着のまゝでをするのがゐるかと思ふと、蒼顔倭躯の少年が、家計を助けるために男娼となる。夜分になると実際これらの男娼は街頭に立つて道行く人を誘惑するのだ。

この惨憺たる姿は警察でも全く叩きつぶすことは出来ないのである。

もし彼等を検挙して留置場に止めれば、それこそ彼等は我も我もと殺到して来るであらう。なるがまゝの世界である。救済の道もなければ、停止させる方法もない。

これと類似した場所はほかにもある。俗に天六の淫売と称されてゐるもので、北区天神筋六丁目の市電停留所附近である。

又、新世界の歓楽郷と接した東関谷町の南方一帯にわたる賤娼街、その何れもが×円以下の金銭で腐肉を提供してゐる。

これらの私娼と、玉造などの私娼と比較すれば、そこにはいろヽ面白い対象もあるが、僕たちは余り不潔な歓楽郷は好まないからこゝらで切りあげてをかう。

それに大阪貧民街の私娼窟に就ては、雑誌犯罪科学に詳細に発表された。