新ルネツサンス式だ。ネオンサインだ。ジャズだ。ブルーズだ。タンゴだ。スピート時代だ。いやなんやかやいふて道頓堀が刻一刻モダン化してゐるさなかにあつて、ひたすらに古くからの伝統を守つてゐるのが芝居茶屋だ。自からを時代遅れの商売と知りつゝも、撫然として近代主義の急迫なテムポを呪ひながら
「ほんまに此頃の人間いふたら無粋な奴ばかりや。」
とこほしてゐる点に一入哀れさを感ずるのである。
古い言葉でいろは茶屋、新らしい呼び名で前茶屋ともいふ芝居茶屋とは、云はずと知れた芝居の案内店。
屋根のない小屋がけ時代にこそこの商売は必要であつたが、雨が降つても傘さへ無用にならうといふ時勢には極めて不向な商売だ。
前売切符は電話一本で用が足りるし、入口で切符を求めても結構間に合ふのに、何を好んで余計な手数をかけてまで芝居茶屋の手を経る必要があらう。
それでゐて、この芝芝居茶屋なるものが道頓堀には十五六軒ある。(明治以前は四十六軒あつたとのこと)。
大吉、兵忠、三亀、松川、高砂外十一軒。
この十六軒の芝居茶屋の得意先が、大阪中にどの位あるかといふと、明確な数字は現はせないが、迚も千五百軒とはあるまい。
顧客は一年毎に減るばかりで、繁昌する店で二百六七十軒、少ない店では三四十軒位しかないのもある。
芝居茶屋を経ての観劇が、普通木戸口で入場料を払つて入るよりずつと高くつくのは分りきつたことで、第三者が考へると見栄を張るといふ以外に全く云ひやうがないのである。
見栄を張る位なら、前売切符で自家用の自動車を正面玄関に乗り捨てた方が遙かに気が利いてゐるではないかといふ御仁もあらう。
けれども、実際は見栄を張る外にもつと重大な意義があるのだから、時代錯誤の代物だなどと迂闊に笑つてはゐられない。
表面から見ると、芝片茶屋は只ありふれた休憩所にすぎない。芝居茶屋にはお茶子といふ案内女がゐて、観客の座席に坐蒲団を敷きに行つたり、幕合の食事の御用を伺つたり、客のために席のいゝ場所を取るやうに努力するのがその役目である。
然しそれは表向のこと、裏には又裏の仕事があつて、この裏の仕事こそ僕たちの見逃せない重大な点である。
先づ僕たちは芝居茶屋の家の構造からよく見ることにしやう。往来に面した母家の裏側には、大抵の芝居茶屋が下屋(しもや)と称する離家をもってる。
長い廊下や、三畳又は四畳半の小室がふんだんにある。襖は勿論一つ一つ締め切られて、寒中などは絹蒲団をかけた炬燵もある。
下屋の裏は溝(どぶ)の崖に面してゐるから、もとより通りすがりの人が覗いたりなどする憂ひに微塵もない。
風呂場や便所もそちこちにある。
いったいかうした設備がなぜ芝居茶屋に必要なのか?云ふまでもなく芝居を見るお客はんの為に必要なのである。
夫婦連や、兄妹や、親子が来た場合には表の休憩所だけで結構であらう。
芝居へ来る位なら入浴もすんで来たであらうし、コテコテとお化粧もして来られたであらう。
けれども、芝居へは必ず女房を連れて行かねばならぬといふ規則もなければ、夫と一緒でなければ世の凡ゆるマダムは観劇が出来ないといふ習慣はないのである。
デツプリと肥えた爛熟朝のマダムが、二枚目に出て来るやうな若い男を連れてゐるからとて、劇場の方では決して入場を拒むやうなことはない。
僕なら僕が親籍の若い美しいお嬢さんと中座に行ったとする。開幕までにはまでにはまだ相当の時間がある。彼女も僕も退窟である。
然し、劇場の木戸口から入場料を払って入ったのでは、せいぜい休憩室の安楽椅子で二人ともオヅオヅしながら、
「まだ始まらないのでせうか。」
「いやもうすぐでせう。」
と、こんな会話を取り替す位が関の山であらう。又、芝居が閉(は)ねて往来に出ると、
「どうせ十二時頃迄に家へ帰ればいゝでせう。まだ早いから何処かでお茶でも呑んで行きませう。」
「さうねえ。」
と女は半ば当惑さうに答へるのが異常な努力である、これは必ずしも僕と彼女に限ったことではなく、諸君のうちの唯かと女給でもいゝし、イツト百パーセントの奥様と、若いマルクス・ボーイの場合だって同じである。
諸君、然るにだネ。さうした場合、つまり単に退窟だけでは気のすまないやうな場合に、芝居茶屋を利用してるると、二人の会話はもっと生々した、もっと威勢のいゝ、でなければもっと極りの悪いやうな文句と表情とが、この四畳半の部屋で取り交されるであらうことを想像して見給へ。全く、高いからとか安いからとかいふ問題を遙かに飛び越えた楽しい部屋になるのである。
さて、さうなると一から十まで如才のないのがお茶子の役目。少々高い声で話しても外部に漏れないやうな部屋へ案内して呉れるであらうし、のみと云へば槌をもって来る位に気転を利かして呉れる であらう。
社交婦人が芝居がなによりもお好きなのは、只単に、延若のあの逞ましい筋肉や、鴈治郎の艶っぽい芸に恍惚するのが楽しいからではない。芝居茶屋の奥深い部屋の味がいつもいつも、痛痒いやうな 悩裡をチクリチクリと刺戟するからである。
御主人は芝居が嫌ひでも、奥さまが非常にお芝居ずきの家庭がどんなに多いかは、敢て彼家(あそこ)と此家(ここ)それからあの方もなどゝ余計な例を引くほどのこともあるまい。
さうしたいゝお客を掴んでゐるお茶子は幸せである。
「これは少いけれどネ。」
と、そつと握らされるチツプも手の切れるやうな五円札、
かと思ふと、妻君の前では一年中一日として暇のないやうな振をする会社の重役が、前につんのめるやうな腹を突き出して、ヨチヨチと芝居茶屋の廊下を歩いて御座らつしやる。連れの女が、彼の娘のやうに若い女であることは断はるまでもなからう。
同じ芝居を見るのでも、粋と不粋とではこれだけの相違があるのだから、芝居茶屋が無用の長物だなどいふのは以ての外の愚論である。
芝居を見る前、芝居を見た後、高鳴る胸を押へて喃々と語る楽しさは又格別である。金の光りは七 光り、人はわけなくして金を呉れとは云はないのである。
あぶく銭のある人は大いに芝居茶屋を利用されるがよからう。
前売切符だ。プレイガイドだ。おまけに芝居がいつの間にか映画館に早替りするので、芝居茶屋は踏んだり蹴つたりの惨めさである。お得意になれば盆暮の贈り物もあるし、毎月毎月プログラムだけはイの一番に送つて呉れる。
一幕見がスピード時代の観劇法だなんて、そんなつまらない所へ力瘤を入れるのは止して、もつと違つた所ヘ力瘤を入れるべきである。
「そない云ふたかて、連れて行く対手がなけあ阿呆らしいが……」
なる程、恋人も情婦の一人も持たぬ方はかう云つて尻込をなさるでゐらう。
然し、男子たるもの尻込はあらゆる場合に禁物である。
芝居茶屋から数歩足を運べば、表通りには仄暗い電気スタンドの側、蒼い灯のジャンデリアの下にエロエロ女給があぶく銭の持主を今や遅しと待ち構へてゐる。交渉次第によつてはどんな場所へでもお供する最も現代的な職業婦人、女房の如く見せても、娘のやうに装つても、それは諸君の隨意であるから、転んだ拍子に馬糞を掴んだつもりで、当つて砕けるだけの男気を奮ひ起して欲しい。
「どうや、今度の中座はえらい評判やせ。成駒屋を見せたるが一緒に行けあヘンか。」
とおめづ臆せず真向から斬り込んでみる。千に一つや万が一
「ほんまどすかえな。妾えも見たい見たいと疾ふから思うてゐまひてン。」
と、エプロン・ガールがかう答へたら大願成就、直ちに千万長者の若様みたいな恰好をして、芝叫の始まる二三時間も前から、堂々と芝居茶屋の入口を潜るのである。そして、寒い時ならわざとトボケ面をして、
「なんや、まだそんなに早いのか。さうやつたらこんなとこでポカンとしてゐても阿呆くさいよつて、もつと温かい部屋へ通してンか。」
と、お茶子に命じさヘすれば、如才のないお茶子に痒い所に手が届くやうに、万事ちやんと呑みこんでゐる。ちやんとしてくれても、それから先の口がきけないやうなものは、これはどうも致し方が ないから、道頓堀の土左衛門にでもなつた方が気が利いてゐる。
「えらい寒うおまんナ。」と女から云はれて、
「うむ寒いな、」
と、懐手をしたまゝ答へるやうでは、女の方でも二の句がつげまい。と云つて、
「なんぞ寒うない工風はないやろか。」
などと答へたのでは、それこそ女を益々身顫ひさす以外に何の効果もないことを心得てをかねばならぬ。
閑話休題、次は道頓堀に咲き匂ふ燈下の花、エロヽ女給の探索に出かけやう。
「君の好きなものはなにか?」と訊かれたら、
「二番目が酒だ!」とかう僕は答へる。
なにはさてをいて