こゝも亦御多聞に漏れず松竹の独り舞台である。戎橋の西詰にある松竹座は、その豪壮優雅な点に於て映画劇場としては大阪一、いや大阪人に云はすと日本一、自家用の高級自動車がずらりと車寄せに並ぶところを見ても客筋の如何が窺はれる。
スマートな男女ふたり達れの客が、三々五々と澄しこんで階段を上ると、その後ろからは若い女学 生が恥しさうに面を伏せて昇つて行く。
なにしろ大入の日など一日一万円に達するといふから素晴しいではないか。甚だ失礼な言ひ分かは知らないけれど、関西娘がこゝ数年来の間に、すつかりモダン姿がイタについて来たのは映画の力によるところが尠くない。
戎橋を渡ると浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座といふ順序に、古風な大劇場が道頓堀の色彩を一層華やかに飾つてゐる。
これ等の大劇場もいつの間にか松竹の手に転がりこんで、浪花、中、角の三座では年中一流歌舞伎や、新派、喜劇などが夥しい客を吸ひこんでゐる。朝日座と弁天座は映画専門の劇場となつたが、これらの六座から日々松竹の懐に舞ひ込む金は、二万円から二万五六千円に達すると云はれてゐる。一日二万円だとすれば月に六十万円、一年には七百二十万といふ莫大な金が、鴈治郎や、延若や、中車や、それからチヤンチヤンバラバラの阪妻や、色男の長二郎や、松竹座の飛島明子のすんなりした足や、慾道禿の株主たちのためにバラまかれるのである。
役者が干ほしになつて、映画監督の頤の下がカラカラに乾くやうにならなければ、日本には不景気風なんていふものは吹きつこない。鴈治郎の芸や、長二郎の顔をあれこれと気を揉んでゐる間は、まだまだ天下泰平、国家安全であるんである。
杓子が耳かきにならないと同じやうに、忠臣蔵や弁慶はパンの代りにならぬ。